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ことばのおしいれ

別れ方のやりかた

最近終わるものが多い。

 

大学の近くのある書店。しばしば立ち寄ることがあった古書店である。

 

その書店が無くなるらしい。

どうも割引セールも行っているという噂と聞き、勇んでその書店へと同期とともに向かった。

 

お店の中はあまり見たことのないおばちゃんが座っていた。

鉄道ピクトリアルの京王特集を手に取って一緒に来ていた友人とぱらぱらめくっていると

 

「お客さん、遊びにいらしたのならあまり汚くしないで。」

 

人生ではじめて本屋さんで立ち読みを注意された。これは実に貴重な体験だ。しかしこんなことを言うお店だっただろうか。いやこればかりはどう考えてもわたしが悪いのだが。

 

いろいろと申し訳ない気分になったので、その京王特集を買った。

べつにいらないものだったわけではないし、多少財布のひもが固くなっていたとはいえ、迷った挙句買ったと思う。

しかし、どうしても自分の中で、免罪符として買ったのではという、うしろめたさが消えない。

わたしは気を紛らそうと「おやめになるんですね」と声をかけた。これもまた、軽い気持ちだったのだ。

おばちゃんが語りだした。

体力の限界が来ていたこと、その他いろいろ運営環境的に限界が来ていたこと(うまく聞き取れなかった)、2階にはまだ在庫がたくさん眠っており、それを掃くまでは営業を続けるようだということ、そしてそれは彼女にとっても想定外の量のようだということ(直接は言っていなかった)、彼女は実はもともと書店運営にはかかわっておらず、いまとなっては値付けはするけど専門的な知識が無いから相場に沿っているかわからないということ、あとは昔の話だ。夜行列車で帰る出張で上京した会社員のために夜遅くまで店を開けていたこと、お店中に人があふれた時代のこと、、おばちゃんはよどみなく語った。

20分くらい話を聞いていた気がする。わたしは焦った。

 

おばちゃんが一息ついたのを見計らって、また前通ったら来ますと言い残して、お店を後にした。連れの同期は「帝国海軍の威容」なんて本をいつの間にか買っていた。1000円…価格破壊、安すぎないか。

 

ただ部外者として無責任に本を買ってお金を落としたつもりになって終わるつもりだったのだ。わたしはじぶんの勝手さとあつかましさにむしょうに腹がたった。相手はもっと歴史があり、もっと大人で。あのおばちゃんにすべて見透かされていたのではないかという焦りが自分を支配した。

 

大学に戻って、わたしは知りうる同業趣味の友人にその古書店の存在を、閉店の事実を、教えうる限り教えている。

また前の道路を通り、彼女の前に顔を出せるか自信が無い。わたしの代わりになってもらう人探しの、これもまた、情けない行為なのだ。

 

いまこれ以上のことはできない。

 

わたしはいま、別れ方のやりかたに悩んでいる。

 

ふっきれるその日を待っている。