矢吹可奈を担当に迎えて、見えた景色
どーも、渦森です。
記事はやきゅ(@8_9_00)さん主催の2019年アドベントカレンダー
の12月7日分の記事となっております。
ちなみに前回は12月4日、親愛なるコイン精米機くんの
でした。
スケベを適切に盛り込んだ樹里への愛が伝わる良記事です。わたしも楽しくキマった(褒め言葉)文章書きたいよぅ……………
あと…知ってたか?わたしも樹里が好きだ。以上。
☟では本題☟
♪チャイム♪
【おことわり】この内容は、11月に九州へ旅立った際、早朝便待ちのために一夜を明かした深夜の羽田空港であまりにすることがなく、眠気と疲れでキマった状態で書きなぐった文章になっています。だから読みづらくてもしかたないのだ!だから読みづらくてもしかたないのだ!
♪チャイム♪(放送終)
矢吹可奈の担当になって半年くらいが過ぎた。
今わたしは未明の羽田空港にいる。することがない。困った。眠いが寝る場所がない。困った。なんだ…………お前も暇なのか!?
じゃあ少し聞いていかないか? わたしがこの1年間で可奈の担当になって見えてきたことについてだ。
完全ノーマークの子だったのに…………
ミリ6thという至高にして最高のライブがあったことは周知のとおりである。
で、その神戸公演。わたしはライブビューイングで見ていたのだが、なんかSTAR ELEMENTS(スタエレ)というユニットが出てきていきなり朗読劇をおっぱじめやがったんである。なんてこった!
正直なところ、スタエレの履修は「不可」待ったなしの単位こぼしな状況を呈していた。イベントコミュもまともに見る性分ではないので、どういう空気感のユニットなのかすら今一つ分からずにいた。でもそいつを見たとき、おそらく大多数のオタクが熱狂していたであろう一方で、わたしはある一つの違和感に囚われて、そこから抜け出せなくなっていた。
それは、「水桜ってどうして可奈なんだ?」という違和感だ。
思えば、これが可奈との最初の「出会い」だ。わたしはそこで、神崎水桜という「キャラ」に対する違和感を強く覚えていた。いや、そのキャラそのものに対する違和感ではなく、おそらくその「キャラ」を演じている「キャラ」、矢吹可奈の存在である。
自分の中で可奈といえば明るい、裏表のない、愚直で純粋な女の子という印象が強かった。それなのに、彼女が「階のスターエレメンツ」で演じる神崎水桜は、自分がのしあがるためならばどんな陰湿な手を使ってでもライバルを妨害する傍若無人な側面を持っている。そのギャップが自分には理解できなかったのだ。
いろいろと考えはした。「ギャップ萌え」や「新しい仕事」で片づけられる何かではないはずなのだが、そのキャスティングの狙いがわたしにはついに分からなかった(今でも納得のいく答えが出ていない)。わたしが可奈の担当であれば、可奈にこの仕事は持ってこないだろうと思った。思えばこれが可奈に対する「最初の興味」であった。
そして、朗読劇の中で神崎水桜を演じる可奈の姿を見ながら、ふと「矢吹可奈はこの仕事をどう考えているのか?」と思った。
恐らく、彼女はこの仕事にそうとう苦悶したと思われた。
そんなことを考えながら3人の朗読劇を見ていたわけだが、このとき、わたしは決定的な瞬間を目撃することになる。
可奈の台本を持つ手が震えていたのだ。
いや………賢い同僚各位は突っ込みたくて仕方ないであろうが、正しくはそう!「見間違えた」のだ。ああ知り合いになんどもあの震えた手は山崎はるかのものだと説明されたときのきもち!!掘り切れないほどの穴を掘って丁寧に入りたい。
ただ、ただである。そう見間違えたとはいえ、見間違えたことで「可奈はこの仕事と向き合いきれていないのではないか」という発見があった。
そして、多くのプロデューサーが熱演に魅了される(て、おそらくそのドロドロ劇に熱狂する)なかで、そんなことに気づくことにたいする密かな喜びのような感情が自分を支配した。
恐れ多くも「こんなことに気づいている人はそこまで多くいまい」と思った。
この瞬間、その弱さを支えたい。そしてそれに気づき、寄り添うことができる自分は可奈を担当して迎えるべきなのではないか。可奈にとってわたしは平穏とさらなる飛躍を提供できるのではないか。そう思った。
「わたしがプロデューサーになることでそのアイドルは幸せになれるか?」
歌織さんの場合は違ったが、今回はそんなことを考える余裕があった。わたしは可奈の弱さを正しく照らせる担当プロデューサーでありたい。
可奈とは、そんな出会い方であった。
可奈の担当になってみえてきたこと
可奈の担当になって、歌織さんの担当専任だったころには見えなかった多くの側面を知ることになった。
まず、わたしが知らない「積み重ね」がアイドル本人にあることだ。
歌織さんはミリシタのリリースから登場したキャラであり、わたしはミリシタに触ってなかった期間があるだけに厳密には違うが、キャラの登場からずっと見届けてきたという想いがある。逆を言えば、自分が知りうる範囲を超える情報や出来事やしがらみは無く、それはある意味で安心できるものだった。
ただ可奈は違った。むろんミリオンスターズの立ち上げの頃からのメンバーであり、さらに言えばムビマスでサブの中心人物(と言っていいのか?)を演じているし、今はサービスが終了したグリマスの時代からのキャラである。その頃のカードにはミリシタに実装されていないカードやエピソードもあり、現在ミリシタをプレイする限りでは彼女の全貌をうかがい知ることができない。
ここで初めて、過去に戻って学ぶ必要性を痛感することとなった。グリマスはもう戻ってこないので、Wikiなどの情報以上のものを獲得するのは難しいし、どうしても「実体験」できていないという事実は揺るがぬものがあり、そうした事実とどう向き合うのかを考えさせられることとなった。
そして、そうした振り返りの中では、可奈担当にとって避けては通れない出来事があることを知った。
そう、「TAイベントでの種田梨沙病気休養による矢吹可奈の繰り上がり当選」である。
ミリシタから入った自分にとっては、当時のひりつきについてわたしは知る由もない。その肌感覚は直面したものにしかわからないであろう。わたしも出来事や経緯については知ることができたが、それに可奈担当プロデューサーたちがどう向き合い、田中琴葉担当プロデューサーたちがどう向き合ったのか、それを知り切ることはできない。それもまた心にひっかかるというか、知らないという揺るぎようのない事実に対して向き合うのに時間がかかった。
知らないのに担当を名乗って良いのか、知らないことで可奈の向き合い方を間違えていないか……
途中から担当になる。という難しさ。背負うハンデというか、そうしたものに対する負い目を感じたのは、はじめてのことだった。
こうした思いには、いまもちゃんと向き合えていない。こうした思いに対して、自分なりの答えがまだ出せていない。
さいごに
振り返ってみるとわたしはどこまでもアイマスをビジネスライクに、プロデューサーとしてそのロールプレイを完遂しようと一歩引いて捉えているのだなと感じられる。だから自分とアイドルとの恋愛関係だとか、嫁にしたいとかそういう感情にはなかなかなれず、アイマスにのめりこめないようで少し寂しかったりする(めんどくさい悩みだ)。
でも、それがわたしなりのアイマスとの向き合い方であり、そうした向き合い方も許容されるのがアイマスの懐の深さであり、魅力なのであると理解している。
可奈の担当になることは、わたしに多くの新しいアイマスの側面を教えてくれることになった。最初から知らない負い目、コンテンツを続けていると起きうる困難……いまだ可奈の担当でよかったと思えたことがない。
ただわたしは信じているのだ。
あのライブでの発見、気づき、それに対する高鳴り……あのセンセーショナルな出会いに意味を持たせたい。そう思ってあがいている。
結局は、そんなことのような気がする。
以上
(ここは次の方の紹介が貼られる場所です。この近くでボール遊びをしたり、立ち入ったりすることはやめましょう。)
☟貼りました☟
次は12月10日更新!みずいろこねこさんの佐久間考察記事であります。
デレはそこまで首を突っ込んでないですが、みずいろこねこ氏の考察はなるほどと思うところがあります。愛が重いということは自らに対する自信のなさと表裏一体なのであります。