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ことばのおしいれ

心眼がうずいているような話

最近旅行することの意味を考えている。

 

私が執り行う旅行というのは、おおよそ一般的な「観光」や「旅行」と言ったものとは程遠い。全国チェーンの総合スーパーに行ったり、山の上の郊外住宅地に行ったり、地元でもお世話になる書店の支店にいったりするわけで……

他人が見れば何が楽しいのかという感じではあるが、自分で思うに、2つの「楽しい」が私の旅行(≒奇行?)に含まれているように感じる。

 

一つは「他人が知らない景色、事実を知りたい」ということにある。

世はネットの社会であるが、この狭い日本列島にも皆が知らないであろう事実や景色が恐ろしい数転がっている。こいつを誰よりも先にゲットして、全世界に発信してやろうではないかというセコい魂胆がここに働いているというわけである。

これは一人旅を好むという性質にも関わる。せっかくの手柄を他人と真っ先に共有されてしまっては興ざめだと。またしてもセコセコな感じ。

このままではワルイヒトになってしまうので言い訳(というか現実)を話しておくと、実際はそんなフロンティア的な活躍は到底できておらず、基本は誰かの情報の後追いになっている。情報のアンテナが低い、思い込みが激しい上、幸いにも世の中を苦労せずに生きてきてしまい、世の中の言説や情報に対して疑問が生じにくい(意外な発見は常識に対する疑問から生まれるものだ)ことが原因のように思われるわけだが、ここのギャップは本人のストレスの一因として存分に寄与されている。

 

もう一つは「コレクター心の充足」にある。

これはどういうことかというと、大変ご好評を頂いた「そごうのその後」を例にすると分かりやすい。わたしは元から図鑑、図録といったものが好きで、その1冊で何かの情報がコンプリートする。そしてそれは一定のフォーマットをもって提示される。つまりもクソもないが、要は「何かをコンプリートする」ことが大好物なのだ。それは「そごう全店踏破(厳密には海外店舗行ってないが)」であり、「イオン全店行脚の旅」であり、「鉄道乗りつぶし」であり、これらのコンプリートも密かながらに旅行の中では推進されているのである。

 

そりゃもちろん、きれいな景色であったり、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建というやつだ)であったり、おいしい地場のごはんに興味がないわけではもちろんない。むしろ地場の飲食店での夕食は何よりも優先する。語ると長いのでこの辺にしておく。

話を戻すと、わたしの行動原理にはおもにこ上記2つがあるような気がする。残念ながらこの願望を満たすほどの積極性と機動性を持ち合わせていないのが大きすぎる課題としてのしかかっているわけであるのだが。

おそらく誰も知らない景色や事実の獲得のためには、人と違う行動や場所に行かねばならない。こんな時代、そんなものは大通りのど真ん中には転がっておらず。山の上の住宅地に見つかれば上出来なものだが、だいたい道もないようなところであったり、それこそ人が未踏なところにあるもんである。

人が未踏というのはそれなりに理由があって、だいたい「法的にヤバイ」か「生命的にヤバイ」なプレイスである。あくなき探求心の弾丸のような人はこういった「ヤバイ」を乗り越えていき、様々な素晴らしい報告をワールドワイドウェブに上げられている。しかしわたしにはここまでのバイタリティは体のどこを絞っても出てきそうにない。法律は守りたいし、命は惜しくなってしまう。善良な小市民であるわけである。

そんな現実と、フロンティア欲と名付ければいいようなよくわからないがしかしそれでもなお湧き続ける欲求との駆け引きの中で、日々のmatinoteの原稿はひねり出されているわけである。法的にヤバくない、生命的にヤバくない、でもみんな知らないでしょ?みたいなラインである。なのでみんな安心して紹介されたプレイスを訪問してほしいものである。

 

まぁ、そんなこんなで、わたしの出掛ける動機はこれくらいひねているわけである。むろんフロンティア欲は以前満たされぬままである。気づいたら断崖絶壁に取りついているマンになってしまいそうなのでそうなりそうだったら誰か止めてあげてください………

 

オチなんてない!