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ことばのおしいれ

"就活"とはなんだったのか

そういえば、

さらっとブログが復活し、その他の活動でも何事もなかったかのように活動をしている昨今なのだけれど、実は、ブログを更新していなかったり活動がなんとなく遠のいていた時期、就職活動をしておりました。

結論から言えば、ある企業から内定を頂き、無事就職活動は終了!と相成ったのだけれど、その実態というか、内実というものに対する違和感のようなものは、やはり私がこの時期に突入する以前から現在に至るまで残っているように思います。

後を続く方々にとって、何の役にも立たないのかもしれないけれど、自分のためにも、就職活動で感じたことを、あまり忘れないうちに記しておこうかと思います。

 

わたしにとって、就職活動というのはしんどいものでした。

つらかった理由について考えてみると、おそらく「やりたいことの動機が弱い」「就活という興味のないことにそこまでアツくなれなかった」ためであったように思います。

わたしは個人面接でのフリートークになると非常に盛り上がった記憶がありますが、集団面接の一問一答の質問になると「それでよろしいですか」と聞き返されるくらい内容が薄い返答しかできないことが続きました。普通の大学生ならここでしっかり考えなきゃ!ってなるのでしょうけれど、わたしは「思いつかないことをねつ造してもしょうがないやん」と開き直るダメ学生でした。

ある意味で、準備不足だったように思います。伝えたいことはたくさんあったのだけれど、その全部を簡潔、短時間で伝えることが全然できなかった。

でも面接はコミュニケーションなのだと思っていた。ある程度内容を薄めに話して、もっと突っ込んでほしかったのだけれど、実際はありがとうございましたと言われてそのまま終わってしまう場面も多かったし、そもそもわたしは質問に対して非常に素直に答えたのだけれど、おそらくその質問にはわたしの能力を測ろうとしている意図があり、それにそった「模範解答」をするのが一種の正解だったのだと思います。これはわたしが鈍感だったというのは間違いなくありますが、これで多くの面接をふいにした気がします。でも、それで自分らしさをブらしたり、あるいは自分らしさを欠いた返答をしようとは思えなかったのです。

自分が用意していったエピソードが適切ではなかったという可能性もあります。ただわたしのエピソードはどれを振り返っても感情的な話題が多く、思いつく限りで、どういった能力が秀でていると引き出せるようなエピソードはありませんでした。そもそもわたしは感情を大切にして生きてきたから、じぶんにはどういう能力があるだなんて、考えたこともなかった。

ただ、これは自分勝手なのでしょうけれど、そんな方法で能力を測ろうとするのなら、SPIでも受けさせればいいという話で、面接という人と人があう場を設けるのならば、もう少し時間をかけて、一人一人、その「人となり」を見てほしかったと思います。何を測りたいのかが予測できる範囲の質問が出され、それに対して「こういうふうに言えば受けがいい」「こういうことを言えば『求める人材』に近づける」といったパフォーマンス合戦をする…といった集団面接の白々しさが、わたしを余計に頑なにさせました。

おそらく、一般的な企業で求められるのはいくら人物重視だと標榜していても、結局は能力なんだ。そしてわたしはその企業で通用する能力を持ち合わせていない。わたしがたどり着いた結論は、思った以上に厳しいものでした。

結果的に内定をいただいた企業さんは、正真正銘の「人物重視」で、定型の質問も毎回一つ程度、時間の大部分を履歴書に沿って「会話」する形でした。「面接」ではなく、面接官の方々も包み隠さずその場でわたしの意見に賛同してくれたり、時に不備を指摘してくれたり、実務経験をもとにしてわたしはこう考えるといったことを仰ってくれる方が多く、この面接スタイルがその後の内定をお受けする大きな理由になりました。

わたしはおそらく就活はうまくいかなかった方なので、あまりああすべき、こうすべきということは言えませんし、言うつもりもありません。ただわたしはこう思った。こう思ったことに対して、誰かがそれから考えたり、見直したり、その誰かの指針になったりしたら、いいなあなんて思ったりして。

今日は、就活の総括でした。