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ことばのおしいれ

まずは、現状を肯定する

自分は悩みの少ない人間だ。迷いは多々ある(なんか夏目せんせいの小説みたいだ)…先日もなんの地図を買うかで1週間も同じ本屋に通い詰めてはコーナーの前で思案するほど決められない人である…が、それは本題ではない。

 

わたしの人生の話。なんで悩みが少ないかというと、自分が置かれた現状に多少の程度の差はあるけれど、おおむね不満が無いからだと思うのです。幸せは「おおむね」でいいんです。100%幸せを目指すときっとつらくなると思います。

余談が過ぎます…さて、その「おおむね」の幸せな日々というのはどのようにして形作られたのか、と自分に問い直してみると、それはおそらく「状況肯定力」のようなものがあるからだと、超ざっくり言えば「ポジティブシンキング」ですね(自分的にはニュアンスが違うと思っていますが)。

自分は大学に入るときに浪人を経験しました。たった一年だけなので偉そうなことは言えないのですが、これも挫折といえば挫折の経験です。自分は現役時代の受験で全敗しての浪人でしたから、さらに笑えない。ついでにいうと、現役時代に受かるつもりのAO入試微分の定義が答えられず(ナント当時は理系でした)あえなく予定外の受験勉強を強いられ、理系に限界を感じ、高三の9月に比較的「マシ」(得意ではない)な文系に志望変更した結果の惨敗…というなさけない経緯もあったりします。

そんなどうしようもない状況。がんばったり、どうにかするチャンスはいくらでもあったのに、結局浪人したのです。周りは、やはりどうしようもないアホだと、多かれ少なかれそんな感想や心配を抱いていたと思います。

でも当の本人は、じぶんのやりたいことができない!というストレスは感じつつも、この状況を否定したり、無駄だと思ったりはしていなかったように思います。むしろ「浪人生活というある種特殊な体験ができる」と感じていましたし、浪人時代に出会った30代の受験生に会い、予備校で一番の友達になったのも、浪人しないと体験できないことでした。そんなことを思いながら浪人生活を送っていました。悪く言うと「能天気」だったんですね。

でも、結構大事なことだと思います。「物事を深刻にとらえすぎるな」というと余計なお世話ですが、ツラい、キツい状況に陥ったらとりあえず今の状況から比較的よかったと思えることを探して、それを大事にする。ということはできるんじゃないかなーと思ったりするのです。大変な状況に陥ると冷静さを失って、とにかく抜け出さなきゃとパニックになり、心の余裕も失ってしまうものだけど、そういった状況の突破には、「余裕」が必要です。

キツい、ツラいと思い続けるのは、ただ「キツい、ツラい状況そのもの」が厳然としてあることが再認識されるだけのように思います。この気持ちを否定するわけじゃないですが、その状況に陥ってからある程度時間が経ってきたら、それだけじゃないのではないかと思ってみるといいかもしれません。あわよくばそういった現状の中からためになりそうなこと、面白いことなど、肯定的な要素を発見し、「現状を肯定する」ことができたら儲けもの。ここで注意したいのが、「現状を肯定すること」は「現状に納得すること」ではないのかもしれませんということ。キツい状況からの脱出をあきらめ、その現状をまるっと受け入れることではないのです。

「現状を肯定する」というのは、ある意味「その場しのぎ」なのです。キツい状況下において、自分の居場所をそれなりに快適(?)にしてから、さらに自分の追い求める理想や希望への確実な踏み台とするための前準備という感じです。

自分は無意識的にそういった作業をキツい場面においてしてきたのだと思います。これはこれでまた、なにくそ!といういわゆるハングリー精神的なものをおおきく削いでしまう副作用があるようには思われるのですが、、、でもだがしかし、ツラいとへこみ続けて、その状況を脱却できなくなるよりは全然いいのかなと思ったりもします。

 

他人に応用できる考えじゃないと思ってはいますが(自分のことながら、こういったことを考えられるのは一種の個性なのではないかと思っている)、、今さらになってこんなこと書く意味があったのだろうかと思えてきましたが、まぁ書こうと思ったからには、何かしらの意味があるのでしょうとポジティブシンキング的サムシングでもって、最後にしたいと思います。